マルク・シャガール作品のご売却(買取)のご相談
マルク・シャガールの絵画作品は、現在でも人気のある作家の一人です。
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マルク・シャガール(洋画作家)
マルク・シャガール 絵画作品マルク・シャガール Marc Chagall(まるく・しゃがーる)プロフィール
明治20(1887)〜昭和60年(1985)
旧ロシアの町に生まれ、自宅で歿。
マルク・シャガールは20世紀では最高クラスの美術界の巨匠である。
シャガールの作品は幻想的な美しさがあり、見ていると楽しくもあり、悲しくもあり、人生の喜怒哀楽というべきものが、すべて込められている様である。
中でも、「サーカス」をテーマにした作品は日常を離れ、別世界へと導きだす不思議な光景である。
マルク・シャガール自身も「私にとってサーカスはひとつの世界のように過ぎ去り、溶けゆく魔法の光景である。」と語っている。
明治20年 マルク・シャガール、旧ロシアの町に生まれる。
昭和60年 自宅で歿。享年97歳。
マルク・シャガール略歴
明治20年 | マルク・シャガール、旧ロシア(現・ベラルーシ共和国)の町でユダヤ人の両親もと、9兄弟の長男として生まれる |
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明治40年 | サンクト・ペテルブルクの美術学校に入学 |
明治43年 | パリのアカデミー・ジュリアンに通う。アンデパンダ展に出品する |
明治44年 | 集合アトリエ「ラ・リッシュ(蜂の巣)」に移り住み、同時代の画家であるモディリアーニ、スーチンらと親交を結ぶ。 マルク・シャガールの初期の作品の多くがこのアトリエで制作されることになる。 |
大正4年 | ベラ・ローゼンフェルトと結婚 |
大正5年 | 娘イダが生まれる。この頃より、マルク・シャガールは家族の情景を描いた作品を描きだす |
大正9年 | 舞台美術を手掛けるようになる |
大正11年 | ソビエト政府の革命政策に失望しロシアを去り、ベルリンを経て、一家でパリに移る。 最初の銅版画 マルク・シャガール「わが生涯」を制作する |
大正12年 | ゴーゴリーの「死せる魂」、ラ・フォンテーヌの「寓話」の銅版画を制作する |
大正15年 | アメリカのニューヨークで初めて、マルク・シャガール展が開催される |
昭和8年 | バーセルの美術館で大規模な回顧展が開かれ、画家としての地位を確かなものとする。 ドイツでナチスの勢力が拡大し、マルク・シャガールの一部の作品が退廃芸術として焼却される |
昭和12年 | ドイツの美術館に所蔵されるマルク・シャガールの作品全てが、ナチスにより撤去される。 フランス国籍を得る |
昭和14年 | カーネギー賞を受賞する |
昭和17年 | ニューヨークでバレエ「アレコ」の舞台美術を手掛ける |
昭和19年 | 最愛の妻ベラが亡くなる。悲嘆のため数ヶ月の間、マルク・シャガールは筆を絶つ |
昭和20年 | シカゴ・アート・インティチュートで回顧展開催 |
昭和21年 | ニューヨークの近代美術館において大回顧展開催 |
昭和22年 | パリの国立近代美術館で回顧展開催 |
昭和23年 | カラー石版画 マルク・シャガール「アラビアンナイト」を発表する。 第24回ヴェネツィア・ビエンナーレで、版画部門のグランプリを受賞する |
昭和25年 | 南フランスに居を構え、近くに住んでいたピカソ、マティスと交流をもつ |
昭和31年 | 色彩リトグラフ集 マルク・シャガール「サーカス」を制作する |
昭和35年 | エラスムス賞受賞。フランス文科大臣アンドレマルローはパリのオペラ座の天井画を依頼する |
昭和38年 | 東京・国立西洋美術館と京都市美術館で回顧展開催 |
昭和42年 | 生誕80周年記念でチューリッヒ、ケルンで大回顧展を開催 |
昭和48年 | マルク・シャガールのための国立美術館「聖書のメッセージ美術館」が開館 |
昭和52年 | フランス政府からレジョン・ドヌール最高勲章を受ける。 パリ・ルーヴル美術館で大統領の出席を得てマルク・シャガール展が開催 |
昭和60年 | 3月28日サン・ポール・ド・ヴァンスの自宅で歿。享年97歳 |