サルバドール・ダリ作品のご売却(買取)のご相談
サルバドール・ダリの絵画作品は、現在でも人気のある作家の一人です。
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サルバドール・ダリ(版画作家)
サルバドール・ダリ 絵画作品
サルバドール・ダリ(さるばどーる・だり)プロフィール
1904年~1989年
5月11日 スペインのカタルーニャ東北部フィゲラスに生まれ、
同地、フィゲラスで歿。
フィゲラスの劇場美術館にて埋葬される。
スペインが生んだ、20世紀を代表する最も多才な画家。
6歳の時に初めて油彩で風景画を描いてから、70歳後半まで、
彫刻はもちろんの事、絵画、舞台装置や衣装のデザインといった
実に幅広い表現活動をしています。
サルバドール・ダリ略歴
明治37年 | 5月11日、スペインのカタルーニャ東北部フィゲラスに生まれる |
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明治43年 | ダリ、初めての油絵(風景画)を描く |
大正5年 | 聖マリア修道会学校にすすむ。 ラモン・ピチョートの芸術的感化を受け、才能を伸ばす |
大正6年 | 版画学校教師フアン・ヌーニネスの指導を受ける。印象派・点描派の影響を受ける |
大正7年 | フィゲラスの私立劇場にダリに作品が掲示される |
大正10年 | マドリード王立美術学校に入学 |
大正11年 | バルセロナのダルマウ画廊での学生グループ展に出品。≪キャバレーの情景≫を制作 |
大正14年 | フェルメールの写実主義、ピカソの新古典主義やキャビスムなどのもと制作。≪パンとくるみ≫制作 |
大正15年 | ダルマウ画廊で2度目の個展を開く |
昭和4年 | 夏、カダケスのダリのもとへポール・エリュアールとガラ夫妻らが訪問し、ダリとガラは恋に落ち、生涯の伴侶となる。 ブニュエルと共同で前衛映画≪アンダルシアの犬≫を制作し、パリで上映。 ゴーマン画廊でパリでの初個展開催。 |
昭和5年 | ミレーの≪晩鐘≫をテーマにする一連の作品を描く≪象徴的機能をもつシュルレアリスム的オブジェ≫を制作 |
昭和6年 | ニューヨークでアメリカ最初の個展 |
昭和7年 | ロンドンで初の個展開催 |
昭和9年 | ≪抽き出しのあるミロのヴィーナス≫を制作 |
昭和11年 | バレエなどの台本を書き、衣装および舞台装置をデザインする |
昭和16年 | ニューヨーク近代美術館で初の大回顧展 |
昭和17年 | 自伝≪サルバドール・ダリの秘められた生涯≫を出版 |
昭和19年 | 最初の小説≪隠された顔≫出版 |
昭和21年 | セルバンテスの≪ドン・キホーテ≫の為に挿絵を描く |
昭和22年 | ビキニの原水爆実験に関連を持つ≪ビキニの三つのスフィンクス≫を制作 |
昭和23年 | 古典主義的、または、宗教的作品を制作し始める |
昭和26年 | ≪ジャック・ウォーナー夫人の肖像≫を制作 |
昭和27年 | ダンテの「神曲」の挿し絵100点を制作 |
昭和30年 | ≪最後の晩餐≫を制作 |
昭和32年 | ≪ダンス≫その他、弾丸主義と呼ばれる方法で石版画集≪ドン・キホーテ≫を制作 |
昭和33年 | 新たにガラと宗教的結婚をする |
昭和37年 | ≪テトゥアンの大会戦≫を制作 |
昭和38年 | パリで「ミレーの晩鐘の悲劇的神話」を出版ニューヨークのノードラー画廊で展覧会。≪死んだ兄の肖像≫を制作 |
昭和39年 | 東京、名古屋、京都で回顧展。「天才の日記」刊行。国王よりイザベラ・ラ・カトリカ大十字勲章を授与される |
昭和42年 | ≪白鳥=象≫を制作 |
昭和43年 | ≪カルメン≫≪サド公爵≫の挿絵入り本の出版 |
昭和47年 | ニューヨークのノドラー画廊で初めて三次元作品の展覧会を開催。東京にて「ダリ版画」展を開催 |
昭和49年 | フィゲラスのダリ劇場美術館閉館 |
昭和52年 | ≪かたつむりと天使≫≪時間のプロフィール≫制作 |
昭和53年 | ニューヨークの美術館で最初の超立体視絵画「ヴィーナスの誕生をガラに見せるために地中海の皮膚をめくるダリ]を展示する |
昭和54年 | パリのポンピドゥ・センターの国立近の大規模なサルバドール・ダリ回顧展 |
昭和55年 | ≪宇宙象≫、≪炎の女≫など制作 |
昭和57年 | スペイン国王より大十字勲章を授与される。妻ガラ死去。ダリはプボルの館で憔悴の日々を送る |
昭和59年 | 火災に遭い、ダリ全身にやけどを負う。バルセロナの私立病院に入院 |
平成元年 | ダリ フィゲラスで死亡。フィゲラスのダリ劇場美術館に埋葬される。 |