アンディ・ウォーホル作品のご売却(買取)のご相談
アンディ・ウォーホルの絵画作品は、現在でも人気のある作家の一人です。
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アンディ・ウォーホル(現代美術作家)
アンディ・ウォーホル 絵画作品アンディ・ウォーホルプロフィール
昭和3年~昭和62年
アメリカ合衆国・ペンシルヴァニア州ピッツバーグで生まれ、アメリカ合衆国・ニューヨークで没。
アンディー・ウォーホルはアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。
銀髪のかつらをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。 本名、アンドリュー・ウォーホラ。
昭和3年 アメリカ合衆国・ペンシルヴァニア州ピッツバーグで生まれる
昭和62年 アメリカ合衆国、ニューヨークで没
アンディ・ウォーホル略歴
昭和3年 | アメリカ合衆国北東部のペンシルヴァニア州ピッツバーグでスロヴァキアの移民の家に生まれる。 本名はアンドリュー・ウォーホラ。 幼い頃から絵が上手であったが恐慌の影響で家庭は非常に貧しかった。 |
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昭和17年 | 父が死去 |
昭和20年 | カーネギー工科大学に入学。絵画等を専攻する |
昭和24年 | カーネギー工科大学を卒業、美術学士号を取得。 22歳で商業アーティストとしての仕事を開始するが最初の個展は一点も売れなかった |
昭和25年 | この時代のウォーホルは雑誌「ヴォーグ」「ハーパースバザー」の広告イラストやティファニー宝石店のウィンド装飾などを手掛け商業デザインで地歩を固める |
昭和27年 | 初の個展をニューヨーク、ヒューゴー画廊で開催。はじめて「アンディ・ウォーホール」と名乗る |
昭和28年 | 27歳。I・ミラー靴店の宣伝で賞を取ったりすることで名が知れ始める。この頃から展覧会で成功を収めるようになる |
昭和36年 | 「アミィ・ヴァンダービルドの完全な料理書」の挿絵を制作。 画商で室内装飾家のミュリエル・レイトウからキャンベル・スープ缶とドル紙幣を描くアイデアを買い取り、翌年シルクスクリーンの可能性を発見し、スープ缶、野球、映画、ポップスターなどのシルクスクリーンの絵を発表していく。 |
昭和37年 | ニューヨーク・ステーブル画廊で開催、大成功を収め、一躍スターとなる |
昭和39年 | スケールの拡大とダブル・イメージの技法を試みる |
昭和40年 | マス・メディアに進出する |
昭和43年 | 6月3日、ウォーホル映画に出演したことのあるヴォレリー・ソラナスという「全男性抹消殺団」の一女性が暗殺目的で32口径の拳銃でウォーホルを銃撃。 一時重体となるがコロンバス病院での5時間におよぶ大手術により一命をとりとめる。 この襲撃事件はマスコミにセンセーショナルに報道される。7月28日退院する |
昭和45年 | 再びシルクスクリーンによる制作を開始。 自ら撮った著名な有名人写真による肖像画を多作する。 「LIFE」誌は1960年代に最も影響力のあった人物としてビートルズとウォーホルを挙げる |
昭和47年 | 母、ピッツバーグで歿。 社交界からの注文肖像画を手掛けはじめる |
昭和55年 | この頃のウォーホルは「アート・ビジネスマン」「ビジネス・アーチスト」としての展 開をみせ個展開催が増大する |
昭和58年 | 冬季オリンピック・サラエボ大会のポスターを制作 |
昭和62年 | 1月 ニューヨーク、ロバートミラーギャラリーで初めてのウォーホル写真展が開催される。 2月20日、ニューヨーク病院コーネル医療センターに入院。 2月21日、胆のう手術を行う。 2月22日、容体が急変し心臓発作のため死去。68歳。 突然心臓発作で急死するまで、ウォーホルは日本の家電メーカーのCMに登場したり ファッションショーに出演したりして常にマスコミや社交界の注目を浴び続けていた。 |